楽只苑

インフォメーション

ブログ

桃の節句

松の内も済み、次に来る日本の伝統行事は「桃の節句」です。
別名の「雛祭り」の方が若い方には馴染みがあるでしょうか?
各百貨店に於いても、正月飾りやセールが済み次第、桃の節句のディスプレイへと切り替わって行きます。

「桃の節句」と言われても、漠然と「女の子のお祭り」くらいしか分からない方も多いともいますが、詳しく調べると日本の伝統が詰まった、趣深く色々な要素があり、謂れがあり、面白いものですので、色々な所から引用させて頂き、お話したいと思います。

元々は「上巳(じょうし・じょうみ)の節供」といわれていました。

  起源は古来中国の上巳節。上巳とは、3月上旬の巳の日という意味です。
中国では、上巳(じょうし・じょうみ)の日に、川で身を清め、不浄を祓った後に宴を催す習慣がありました。
これが平安時代日本に伝わり、宮中の「人形遊び」と結びつき「流し雛」へと発展したといわれています。

ひなまつり
中国の上巳の祓いが伝わる以前から、日本の貴族社会では「雛遊び(ひいなあそび)」というものがあり、平安の中期に盛んに行われていたようです。当時は大人の遊びでしたが、次第に子供たちの世界に広まりました。
現在のように、段を組んだり豪華な飾りを施すようになったのは江戸時代に入ってから。江戸時代の初期に、京都の御所で盛大な「ひなまつり」が催されて以降、江戸の武家社会にも広まり、庶民の間にも定着していったとされています。
ひな人形を飾り、白酒・菱餅・あられ・桃の花等を供えて祀ります。

そして、一番の違いがあるのが飾り付けです。
京都を中心とした地域と、主に東日本では飾り付けの配置が違うのはご存知でしょうか?

三人官女以下のその他大勢の随臣、従者人形を「供揃い」という。
男雛を右(向かって左)に配置する家庭が多くそれが一般的になっており、結婚式の新郎新婦もそれに倣っている。
日本の文化による変化で地域差もあるがこれは下記の歴史によるもので、関東雛と京雛では男雛と女雛の並ぶ位置は逆となっている。

壇上の内裏雛は内裏の宮中の並び方を人形で模すことがある。
かつての日本では「左」が上の位であった。人形では左大臣(雛では髭のある年配の方)が一番の上位で天皇から見ての左側(我々の向かって右)にいる。
ちなみに飾り物の「左近の桜、右近の橘」での桜は天皇の左側になり、これは宮中の紫宸殿の敷地に実際に植えてある樹木の並びでもある。明治天皇の時代までは左が高位というそのような伝統があったため天皇である帝は左に立った。

しかし明治の文明開化によって日本も西洋化し、その後に最初の即位式を挙げた大正天皇は西洋式に倣い右に立った。
それが以降から皇室の伝統になり、近代になってからは昭和天皇は何時も右に立ち香淳皇后が左に並んだ。
それにならい、多くの地域では男雛を右(向かって左)に配置する。

出典:Wikipedia

諸説ありますが、この部分だけを切り取ってみてみても、大変面白いですね。
桃の節句だけでなく、初夏の端午の節句や、秋の重陽の節句等、調べると面白い話がいっぱい出てきます。
折を見て、様々な謂れや説をご紹介できたらと思います。

そして、弊社各店に於いても季節毎の展示を心掛けております。
お近くにお越しの際は、お立ち寄り頂き、季節を感じて頂けたら幸いです。

Wikipedia


日本の行事・暦

各百貨店にも楽只苑で取扱う商品を出品しています。